独り言

独り言が増えてくると「年くったなぁ」なんて言葉も同時に出てくるものである
そりゃしょうがない。何もしないでも1日づつ年はとるのだから。
でも、思った事をクチに出して何が悪い?
誰に聞かせる事もない、その独り言って。中には全然つまらないことも
また、とてつもなく面白い事も。色々あっておもしろいんじゃないかな・
ってことでお届けします。私の独り言。

石川智也

 

続・今年のホノルルマラソン

記事の2つ前が去年のホノルルマラソンだという事は、一年も更新してなかったという事。しかもこの下の記事は同時に書いているものなので、まるっきり一年なのだ。あれから一年・・・長いようですぐにこの時期はきた。今年はいかんせん、足の調子が悪く、メイヤーズウォークに切り替えた。原因として、両足の親指が巻き爪になった事(メチャ痛い)、さらに今年は家族も参加ということだ。前述のとおり、2人の子供を引き連れてのメイヤーズ。ホノルルマラソンよりも4分の一の距離とは言えども、10kmを歩くのは結構辛い。何が辛いって、歩くのがイヤになってグズる子供たちの腕を引きながら「リタイヤすっか?」と心の中で考えてしまうだろう事が辛い。肉体的な辛さなど、傷が癒えれば「そんなにキツかったっけ?」とすっかり忘れてしまって毎年のようにホノルルマラソンに参加してしまったりもするが、「もう少しだからガンバんなさい!」「ホラ、歩いて!」と罵声を飛ばしながら歩くのに体力もかなり使うし、なにしろ子供たちを叱っているようでイヤだ。起こられてる当人は「なんでこんな辛い思いをさせる?」と判断するかもしれないし、そう判断してしまった自分にはメチャクチャ「後悔」というものが走りそうなのだ。昨年から色々と考えてはいたのだが、最近の子供を見ると「弱い」という印象しか受けないご時世に、私もかなり嫌気が指しているので・・・今年は無理やり参加させることにしたのだ。子供の人間構成というものは幼少時代に構成され、歳を重ねる毎に固形化するものである。弱くなってしまった精神力は、どのようにしても直しようがないか、もしくは忍耐力のある指導者によって「矯正」される。その矯正はかなり辛いものがあり、普通の人間であればうつ病になったり自殺してしまったりする程。それほどまでの矯正を出来る人格者がどこにいる?私はその一人だ、などとおこがましい事は決して居えないが、「矯正された」という人間ではある。私の「矯正」については、今度機会のあるときにでもゆっくりお話ししますよ(笑)。と、いうワケで、今年もホノルルマラソンの季節がやってきた。さてさて、子供たちの反応は?これが将来、見事に成果をあげてくれれば、年末の飢饉を帰り見ずに旅費を出費した「甲斐」ってものがあるんだが・・・。

 

落ちる夢

最近、崖から車ごと落ちたり殺人事件に巻き込まれる夢を多く見るようになった。夢占いによれば「現在の状況を維持出来るか不安な状態」とあった。確かにそうかもしれない。占いなんてものは信じていないつもりだが、心理学的な見解からそれはそれとして納得できるものである。2年前にハワイから帰国し、(私なりに)急ピッチで仕事を開拓し資本金一千万円を超える株式会社にしたのは今年の4月。ベンチャー企業特有の「何でもやります」精神から本当になんでもやってきたが、ここにきて密かに安定化を狙っているようだ。5歳と2歳になる子供もこれからドンドンと成長し、結婚に対する後悔と充実感が交差する中、私自信はこれからどのように変わって行き、どんな人生を歩んでいくのだろう。このまま会社経営が上手くいき、そこそこの収入を得てノンビリとした人生を歩んでいくのか?それともドカンと一発当たって、ハラハラドキドキの儲けに周囲の圧迫感と戦いながら息荒く過ごしていくのか?はたまた、数年後には落ちぶれて「昔はねぇ」なんて台詞をはく「おやじ」になってしまうのか。人間、最低ラインにいるときは周りが見えない(見ない?)ので、一心不乱に上を目指すことが出来る。それとは逆に最高ラインに居る時も周囲が見えないという状況が起こりうる。全ては自分自身の価値観が左右し、上・下を決めているものなのだが・・・私には現在が中くらいに思えてしまっているようだ。上でもなく、下でもなく。そんな時、人は大いに迷う。「これでよいのか?」「上にいかなくちゃ」「下に行かないようにしなくちゃ」と。そう、ここが肝心だと思うからなのである。フト、思ってみると、私は毎日そんなことを考えながら生活しているもんだ、と感じる。だから・・・夢を見る。皮肉なことに、この夢を見なくなったときが、私が上か下かに行き、周りが見えなくなっている状態なのだ。

 

今年のホノルルマラソン

また今年も参加する事になった。前回は97年度。おととしである。なぜ去年は?それはやはり仕事の関係でしょう。去年の今頃はそんな余裕はなかったのだ。ただやみくもに仕事をしないといけない状態だった。だが、今年は何とか余裕も出てきた。社員全員4名でホノルルマラソンに参加することになったのだ。しかし!おととしと違うところはまず、体力の差である。その頃は立ち仕事をしていたので、なんとか自信はあった。だが、今回はPCの前に座りっぱなしの仕事。これではたして無事にゴールすることは出来るのだろうか?と、そんな不安をよそに開催日は近づいてくる。妙なあせりも出てくるが、ここはあせってもしょうがない。とりあえず8時間くらいでもかけて完走、いや、完歩するしかないでしょう。前回のゴールには言葉に言い表せない達成感があった。それを機会に仕事にガンバろう!何でもやれば出来る!と信じる事ができたのだ。今年のホノルルマラソンのゴールには何が見えるのだろう?そういった期待感もあるワケだ。

 

たちの悪いやから

最近ネット犯罪やネットストーカーやネットでの議論がホットにニュースを飾ることが多くなった気がする。某○○ぞうという掲示板でも一日のニュースについてみんなで言いたい放題。ある日、「暴走族の子達が2台で警察から追われ、パトカーで執拗に追尾された後、事故を起こして即死してしまった。警察にも不備がある。翌日に遺族への説明と謝罪があった」こんなニュースがあった。これに対して「死んでくれてありがとう」「そんなもんは死んで当然」「ばかな息子がやった事態は、ばかな親が謝るべきだ」などと勝手な事をツラツラと書いてあり、「警察はやりすぎ」などという意見は一つもなかった。私は以前、暴走族まがいの事をしていた時代があり、しょっちゅう警察との追いかけっこをやっていた。本当の暴走族に入っている友達も居たし、その後に暴力団員となった友人もいた。しかし、彼らは決して悪い人間ばかりじゃないのだ。確かにそれについて賛否両論があって良いと思うが、そこには否定的な言葉しかなかったのだ。ましてや18歳前後の若い時期、生活環境や情勢によって、若い感情は不本意にねじ曲げられたりする。そんな青臭い彼らに全ての責任を負わすのは非情ではないのか。誰にでも人生の過ちや過剰行動はあって当然ではないのか。実際に面と向かって話しをすれば、そんな事言えないような輩ばかりが、やけにそういう口調をする。本当にひねくれ者なのは逆にそういったヤツらではないのだろうか。自分の発言に責任をもたない若者。顔も見えない、ましてや会う事もないからと行って言いたい放題なのはどうかと思う。理屈や理論ばかりを並べて人生を考えるより、現在の自分を解放して生きる彼らの方がよっぽど人間らしいのではないか。いうなれば、「べしゃり過ぎのオタッキー」が世の中には多い気がするのだ。

 

追われるということ

約1年ぶりに独り言を更新する。なぜそんなに更新してなかったか?それは、独り言をつぶやいている時間さえなかったという事。前回の独り言から一転して仕事を辞めた私はついに自営業の道を歩んでみた。会社内で活躍しても「偉いな」「よくやった」という言葉だけ。下手すりゃ「当たり前だ」なんて顔までされる事もある。バカバカしいと思わない?そりゃ確かに会社のネームバリューってもんがあって、それで仕事が取れるのもわかる。だけど、そんなものがなくたって仕事は取れるんだ!って所、自分自身で確認したくなるじゃない。だからやってみた。とりあえず最初は苦労しかなかった。つい先月まで一戸建てに住んでいた給料が0円になるんだから。コネだってツテだってないんだ。だけど生活の必要性と家族を養う義務はある。入って来ないけど出ていくものはキチンと出ていくんだから。無我夢中で考えた。「どうやって?どうやって?」毎日のように見るのは追われる夢。思いっきり走って逃げて逃げて逃げて。肩をガシっと捕まれたところで目覚める。こんな最悪な起きかたって今まであんまり経験した事ない。しかも毎日。かなり自分がイヤになったり誰かに当たったりした。以前の生活を良く知るライバルでもあった友達は「終わったな」とつぶやいて去っていったし、会社の同僚からは「眼中から外された」ような目で見られた。とても悔しい想いもした。だけど、なんとか自力で踏ん張って見返してやる!の意気込みだけはあったのが幸いしたのかも。やっと仕事が入りだして順調に進んだ。これでやっと普通の生活が出来るようになった。と、思った時。この1年をゆっくりと振り返って、また勉強になったと思った。やはり人間、落ちたら上がるのは早い。一度上がったんなら戻るのも早い。全て気力の問題だけど。

 

登戸研究所

テレビで登戸研究所を特集していた。戦時中には軍事開発の秘密基地として活躍していた研究所である。当時日本軍は一般に第1から第8までの研究施設を公に好評していたが、第9研究所と呼ばれる秘密の研究所が存在していたのである。その登戸研究所では、いくつかの部署がわかれていて連日、戦争兵器の開発をしていた。その中のひとつが怪力光線。パラボラアンテナと増幅器をもちいて電磁的に超音波を作りだし、ターゲットめがけて照射する事によって相手を殺傷するという恐ろしい兵器だ。しかし、実験段階ではネズミやウサギにある一定時間、照射しないとダメらしく、実戦では使用されていない。また、風船爆弾の開発でも有名である。和紙を主原料として作られた風船に、オモリとして砂袋をぶらさげ、気圧の変化によって砂袋を落としていって高度を保ちつつ、海を渡ってアメリカまで飛行する仕組みである。女子生徒が集まり、13000個の風船爆弾を飛行させたが、のちのアメリカからの報告では900個が到達、戦果は数件の山火事と6人の被爆だったらしい。ただ、アメリカ軍が当時、最も恐れたのは風船爆弾での細菌兵器攻撃。爆弾が投下された場所に数人の研究者達を派遣し、その調査にあたらせた。事実、日本軍はそれを考えていたのだ。登戸研究所でも細菌兵器の開発を進めていたが、アメリカ軍より「細菌兵器という非人道的な攻撃を行った場合、我がアメリカ軍もそれ相応の細菌兵器にて報復を行う」という警告が流れた。当時、B29の飛来爆撃にさえたちうちできないでいた日本軍は、おそれをなして細菌兵器の開発を止めるよう、研究所に言い伝えたのである。そうして、日本の敗北する日が来て、アメリカ軍により日本軍の軍縮を押し進められていくうちに、登戸研究所のデータも燃やされ、研究所としての目的も終わったのである。

 

ドラえもん

先日、日本では「ドラえホン」なる携帯電話が発売された。ドラえもんといえば藤子藤夫の2人の作者による有名な作品であり、子供の頃、誰もが見た「うらやましい、夢のある世界」である。あなたはドラえもんに何を望むだろう?代表的な「どこでもドア」は、どこでも行きたいところに行ける不思議なドアである。「タケコプター」は自由に空を飛ぶことができる不思議なアイテムである。一見、便利そうなそれらのアイテムでも、使えない時もあるのであるが、それもテレビや映画の中ではマチマチなのも、不思議なところの1つでもある。たとえば「どこでもドア」は、行った先からさらに違う場所へ移動する事が不可能な場合がある。いつもではないが、話しの展開上、行けてしまえば話しが終わってしまう時に、その制限は発生する。また、「タケコプター」には特殊な電池が内臓されており、そのバッテリー有効時間もマチマチである。また、普通の電池のように、休憩しながらの飛行であれば、バッテリーはある程度、回復するのである。見ている方は、「もうひとつ使えば・・・」なんって思う時もあるが、そこは話しの設定上、上手いこと行ってしまうと問題があるのだろう。そして、ドラえもんの便利な道具はどこから取り寄せているのだろう?4次元と繋がっているという、その4次元ポケットはドラえもんの倉庫と繋がっているとでもいうのだろうか?また、大きい商品や特殊な物は「未来デパート」から取り寄せる時もある。実は有料らしいのだが、ドラえもんが働いてお金を得ているという話しは聞いた事がない・・。映画「ドラえもん誕生」で、ドラえもんの過去が暴露されたが、ロボット・オーディションにてスカウトされているので、そこから給料はでているのだろうか?なにはともあれ、子供の頃とは違った視点でドラえもんを見るようになった私達は、もう大人になってしまって、ひとつずつ夢を失っていてるのかもしれない。

 

犯罪?

マスコミに限らず情報の操作というのは誰でも何処でも受けている。マリファナと聞いて「覚醒剤じゃないか!」と固定観念で判断する人も少なくないだろう。しかし、日本では規制されているマリファナにしても、海外のある国ではタバコのようにストレス解消、イライラ防止のように利用されている。また、日本では許されている屋外での飲酒も、ハワイでは禁止。悪いことなのだ。そう考えると犯罪なんてものは、「ルール違反」という事だけでしかない。ルールを守りたくない人間はたくさにるが、みんな、しょうがなく守っている。でも、誰かが守らないと、自分でもやりたい分、批判も大きい。だから、言われたくないから、みんな守っている。他人の目が気になる日本人ならなおさらだから犯罪件数も他国と違って少ない。アメリカにしては、他人は他人と考える人も多いので、そうはいかないらしい。そこらへんの感覚の違いでも、犯罪件数の違いに影響してくるものだ。

 

1998/06/05のひとりごと

なんてこった。独り言の更新が1ヶ月もやってない事に気がつく。そんなに経ったっけなぁ..と思いつつも、また書き綴る。みなさん、おひさしぶり(笑い)

ただいま人生の休日。こんな休日なんか、そうそう取れるもんでもない。私は無職の身でありながらもハワイに一人で観光に来ている自分に、そう催眠術をかける。正直言ってかなりのプレッシャーが重く圧し掛かってきている現状という物を直接に感じてしまっては、私はすぐさまひねり潰されてしまうだろう。仕事をしていた何年かの間で、そういった技は身につけていた。なにしろ精神的な弱さが一番のネックだった私には、それがないと生きていけなかったのだから、これはしょうがない事であろう。管理職という地位にて部下の心配を一世に引き受け、立ち向かっていかなければ私の存在理由がなかった。人の代りはいくらでもいる。どのようにして自分だけの価値を確立し高めていくか、の勝負だった。だから毎日がピリピリとしたものであったし、そのぶん得られるものも大きかったが、いまの状況からみると「日本人だね」と、再度自分で感じられた。

自分の人生は一度だけだ。今日という日は帰ってこない。明日また、寿命の日に近づく。何をしたらいい?どのように生きる?方法は?プランは?自信は?確実性は?やる気は?本当に可能か?...目まぐるしく浮き上がるそのような疑問に自答しきれなくなって自我がはじけ飛ぶ。「もう死んでしまおう。そうすりゃ楽になれる」なんてささやきが頭をふとよぎった時、人は神にそむいて生の中断を行ってしまうのだろう。しかし、待て。その考えに至るまでの過程には否定はしない。でも、こう考えたらどうか?「私は今、ここで死を覚悟しました。もう世の中に未練はないので、これはいつでも実行できます。でも、もうちょっと遊んでみます。これから起こる事全ては、私が死んだ後に起こったものとして考えましょう。誰に何を言われようが、誰に何をされようが、今後は私のやりたいままに無責任に行います」と。そうすれば、なんとなく楽しそうではないか?かくいう私も、以前に考え、実行したことがあり、もしかしたら学生の頃に、この命を絶っていたかもしれません。でも。今でも私はそう考えて、楽しんでいます。

1998/05/07のひとりごと

物事には善も悪もない。ただ人間が生きるにあたって便意上、そのような取り決めが行われているだけで、何が善で何が悪なのかの区別はない。人は生きる事を目的とした生命である。生きなければ目的をはたす事ができないので生きる努力をする。そこで人は考える。生きる為には殺されてはいけない。殺されないようにするには、どうしたらいいか?殺される前に殺すか?これが戦争。単純な発想である。戦争はしてみた。殺された人もいた。次は自分である。自分が殺されない為にはどうすれば?そこで人はまた考える。人が人を殺さないルールを作れば良い。そこで人は「殺人を悪」と定義づけ、生きる為には殺さないようにした。このような展開で、人は悪を定義づけ、逆にまた善も定義づけた。ようするに善や悪は人が生きる為のルールに必要な規制なのである。だから、人によって善と悪は微妙に違う。国によっても、その度合いは違ったものになってくる。それぞれの人や団体が定義づけた善と悪が、そこには存在するからである。そう、善と悪は人が決めたものであって、本来、物事に善も悪もないのである。

宿命と運命は違う。宿命とは、人が生まれ持って来たものであり、運命とは人が切り開いていくものである。運命とは宿命の上に存在し、運命を乗せた宿命によって、その上にある運命は大きく揺れ動くものとなる。努力をして、結果成功するのは運命であり、死にたくないと願っても死期がやってくるのは宿命である。宿命は運命の力ではどうにもならないものなのである。

人には多数の能力が備わっている。ただ、その多くは現在社会に必要なしとされるものなので、退化しているものも数おおい。例えば能力の一つとして耳。耳は「音」という振動を捕らえて脳に直接、音の信号を送る事ができる。それが「声」であったり「音楽」であったりするのだが、それの区別は人間が考えたものであり、本来はただ単に「振動の信号」である。これを「音」として自身に受けさせ、感情の伝達や雰囲気の察知が脳に自然に捕らえられる事、自体が能力である。しかし、この能力は現代社会に「必要有り」とされているものなので、退化はしていないようだが。また、治癒能力(ヒーリング)、念動力(サイコキネシス)、読心(リーディング)、予知能力(忘れました)が現在、使われていないところをみると、必要のないものなんだな、と考えてしまう。なかには多少の力が残っており、それを奇異として見られている人もいるだろう。また、なかにはそれこそ自覚がないだけで、実際には働いている力もあることであろう。例えば物事の成功を疑う事なく信じていれば、きっと成功に繋がるなんてものも、能力の一つであろうし、それを絶え間無く続ける事で、実際に身について行くものなのであろう。

1998/05/02のひとりごと

1999年に人類滅亡の「何か」がやってくる。と、あの有名な予言者ノストラダムスは言った。詳しくは知らないが「北の空から恐怖の大王が降ってくる」らしい。間違っても「北の宿から今日、ふの味噌汁がやってくる」とは解釈できないそれは、私にとっては色々と問題だったりする。まあ、私の祖父は頭がピカピカで、私の父も生毛剤に頼っている毎日の中、「遺伝だよ」と脅され続けた私にとって、1999年で滅亡してくれるなら「私の長い友達が抜ける前」に公然にそれを見せなくて済む、という安心はある。しかし、「お前みたいな奴は30過ぎてから味が出て来るんだよな」とも言われ続けた私には「味が出る」前に亡くなってしまうのかとても残念だったりする。ともすると、27って事は味こそは出てないがダシくらいにはなっているのであろうか。ともかく、その予言の日まであと1年ほどである。富士山の大爆発なんかも予言されたが、現在も一行に噴火しない富士山を見て予言を信じた人達は、そろそろ恥じを時間が解決している事であろう。もしかしたらノストラダムス君の言った事もそんな感じかもしれない。まあ、彼の場合はもうこの世に存在していない身なので案外楽かもしれないが。それにしても、その予言を信じてこそいないが「何かあってはいけない」と思っている人も多くいて、非難する場所や施設を作ってるに違いない。「自分ばっかり生き残って、ズルイ」と考えそうであるが、私にとっては「誰も生きていないんじゃ自分が生き残っても後々、自殺してしまいそうだ」と考えると思うので、無駄なあがきはしないでおこう。また、火事場泥棒なんてものもあるくらいだから、何かが起きてパニックに陥ったところでコソコソと動く人も居るかもしれない。そんな事を考えると今はワクワクドキドキしてしまうが、もし1999年に何もなく、そしらぬ内に2000年になってしまっていたら...その後はどんな予言でワクワクすればいいんだろうか?

1998/04/25のひとりごと

人は若くして居られないものである。「若いからね」などという言葉はいつしか「やっぱ今後を考えるとね」という言葉に変化する。年齢とともに考えなければならない諸事情もあるし、作り上げてきた物を捨てる勇気もなくなってくる。ゼロからのスタートに恐れをなし、途中で曲がってしまった道すら止まれずに、先にあるであろう希望を果てしなく追い続ける。仮に最果てには虚像しかないとわかっていても、だ。しかし、常に頭に残るのは「これでいいのか。この道で間違ってないか?」という事。自分の中で答えはでているハズなのに何度も何度も聞いてみる。戻る答えはいつも一緒。「ここまで来たんだ、後戻りはできないだろ?ゼロからのスタートもいいだろう。しかし、お前の持っているものを全て捨てろ。そしてお前が新しく選んだ道にも、それが必要であっても後悔しない覚悟を持て。それができるなら道を変えるのもよかろう。自分は一人か?計算せよ。」と。その理想と現実の狭間で精神的な圧迫を受けながら、人は知らず知らず己の道を進んでいくのである。

今日は朝から何かが違った。もう少し大人になって周囲に気を配れる人間になりたいものだ。人の気持ちに感謝しろ、目は口ほどに物を言っているのに気が付く必要があるのだ。精神を強化せよ、誰も崩れた己を慰めてくれる人間は存在しないのだ。今の自分の位置を確かめろ、お前は前を向いて歩いているか?そんな事を思い出していると、まだまだ人生これから勉強が必要である。と、感じずには居られないものである。良い勉強をしました。

1998/04/17のひとりごと

気になる。こんなに気になるのは最近ではなかった事だ。自分もまだ若いなと苦笑しながらも自分の気持ちに正直になって、あまりの幼さに愛らしくさえなってくる。人生とは1本の運命を元に構成されており、山や谷や廃虚や花道が並んでいる。今の自分がどの位置なのかは今わかる事ではなく、あとになって分析し解明、解決となるものなのであろう。要は振り返ってみない事には自分の居る位置さえもわからないという事で、前ばかりを見て猪突猛進するばかりではなく現在位置の確認のために後ろを振り返ってみる事も必要だな、と感じる。私は特に感情というものが後から吹き出てくる性格であり、それが幸いであったり、時には遅れて後悔することにもなる。感情の流出の前に自分のシュミレーションにおいて先に行動できれば、後になって最高の結果が得られることにもなるが、その時の状況で感情を出さなければいけなかった時に出遅れ、後に後悔することもしばしばある。今の状況と先の感情の変化と回りからのアクトやエフェクトによってどう変化し、変化しなければならないかを迅速に判断する事が常に成功者である為に必要なことなのであろう。O型特有というべき「順応力や変化への恐怖の無さ」をめいいっぱい利用して自分への有益、幸福への道として行動しよう。しかし、いくらフレキシブルといっても道は外れてはいけない。レーシングカーの世界のように、コース内で速さを競いトップを取れれば感動や栄誉、真の幸福が与えられるがコースを飛び出したりショートカットをすれば非難や中傷、後悔の荒らしとなる。自分の為、ピットクルーの為に早くゴールし結果をだしたとしてもそれには何の意味も持たず、誰も喜ばず、後に自分のしでかした大きな過ちに後悔するのである。物事の解決とはそういうものであり、常に真っ向から道を進み、非難される事なく為し得る事が重要な事なのである。と、いう事で私の欲、すなわち 知りたい、得たいという感情は私によって抑制され、フタを飛び出したい気持ちと、それを閉じていなくてはいけないという気持ちが摩擦し心を締め付けるのである。が、それもこれも「自然の感情の流れに対して正直にいた為に起こる摩擦」に対する自分の抑制力の強化として考えれば、自分の為にもあいての為にもなるものであろう。

1998/04/14のひとりごと

最近ムチャクチャ寒い。エルニーニョなんとかだか知らないが異常気象である。私の友達の友達が言っていた。「エルニーニョの後ってハリケーンが来るんだよね。この前もその前もそうだったし」と。多分、来年だと言い切る彼はハワイ在住の人である。不景気+異常気象+ハリケーンかあ...ハワイも最悪な年になりそうだね..と思いながら空を見つめる。たしかに最近は晴れたり雨降ったり。平均的に寒いから海にも入りたくないし...。ゴルフくらいがちょうど良い気候だな。そういえば、最近またネットミーティングをやりだした。一時期、知り合いを作るのに躍起になっていた時ほどではないが、やっぱり面白いものである。ちなみに私がいるのはいつもILS4サーバー。ハワイ大好き!な人達もNMとかやりだせば、もっと面白いのになあ、と思っている。そうだ、今度の木曜日にうちの会社の社長が現地入りすることになっている。ちょっと緊張ぎみだが...まあ、なんにしろ小言を言わないといられない性格だから、しょうがないだろうなあ。そういえば....リバティハウスの融資が承認されたらしい。これで今年度の商品仕入れができるので、再建のメドがつくと言っていたが..私の見解ではまず無理だろうなあ。もう、あそこまで観光用として印象づいた店が今更地元をターゲットになんてできるワケがないし、バンクオブハワイからの融資じゃ条件が悪すぎる。プレッシャー以外の何者でもないといった感じだし。まあ、でも。困るのは従業員であって、経営者はなんとか過ごしていけるんだろうなあ。

1998/04/10のひとりごと

先日、日本に帰ってみた。なんら変わる事のない景色なんだろうなあと思いながら帰った日本は病んでいた。あれほど住んで慣れていたハズの日本がやけに小さく見えた。道路の幅、看板の羅列、運転者のマナーの悪さ...。空港から自宅までの道で、それだけのものを感じてしまった。「こんなアジアの片隅なんぞに、しがみついている」の桑田圭介の歌の歌詞を思い出して溜め息をつく。それほどにハワイという「良い環境」に浸かってしまうと、その環境に慣れてしまい、今まで平気だったものに嫌悪感を抱いてしまうという事が、改めてわかった気がした。でも、そんな物は1〜2日で消し飛ぶ。「やっぱ日本が良いよね」と、そんな調子の良い言葉まで出て来る始末である。人よりも環境順応能力は高いかな、とは思っていたが...まさかそんなに早いとは。結局、人とは「良い環境にいれば、それに慣れて生活を落とす事は考えないが、住めば都と言う通り、またそれにも慣れてしまうものである」という事が勉強になったのであった。そういえば、日本ではいま、中学生の犯罪が頻繁になってきた。大学生が不良だった頃なんてものはもう古いんだろう。それから高校生、中学生、さらには小学生にまで至ってくるに違いない。アメリカでは11歳の子供が銃を乱射して同級生を殺している。そんな日本に必ずなって来るであろう。それは日本がアメリカを見て、アメリカに影響され、アメリカに憧れているがゆえに、ライフスタイルや言動を真似ているからで、その変化は時間の問題と考えるからだ。日本式を嫌い、アメリカスタイルを好む現代社会の若者には、「それを続けてきたばかりに、こうなってしまったアメリカの悪い部分」というものは見えないし、楽な所を真似て厳しい部分は日本の常識だのなんだのと、のたもうていれば、結局は悪くなり続ける事にもなるという事を、もっと理解しなければならない。もっとも一般評論としては、そういった意見がいともたやすく出て来るが、では、どうしよう?という段階では、誰も何もできないのが実状であろう。結局のところ、人間は欲をもつがゆえに進化、発展し、逆に滅びる生物なのである。

1998/03/15のひとりごと

お店を閉めてから1週間が経った。こうなるとハワイでの風景も今までとはまた違った物になってくる。どう違うのか?うーん、それを表現するのは難しいね。しいて言うならマラソン大会での「ランナーの目」と「観客の目」くらいの違いかな?今までは人の事など見てヒマもなかったし余裕が全然無かったように思う。でも今は有りすぎて、ちょっとした評論家になってみたりする。「日本の経済がハワイに...」、そんな事は言い訳にしかならないと分かっていても、つぶやくこの空しさよ。ここで悲劇のヒロインになってはいけないし、人を疑いの目で見てはいけない。人間不信なんて物はこの様にできるのか。と、今後の人生や人に説教する時のデータにしておけば良いではないか。そんな事より今までよくしてくれたハワイの人達、お店に来て色々な話をしてくれた人達から得た喜びに感謝したい。これからまたイチから出直すこの「社会」には何が待っていて、どのように生活と私の人生が変わるのか。今、予想してもまたまた検討違いの結果に転がるのなら、考える事もある程度でよしておこう。今までの方法で間違ってるワケでもなさそうなので、今後はそれを突き進めていくしかないのだ。3年前に考えた「一度は落ちる所まで落ちるだろう」というモノが、現実に来てから実感するものだ...これもまた勉強。落ちれば、あとは上がるのみ。下はもう無い。楽勝である。

1988/03/04のひとりごと

サザンオールスターズは皆が知っている有名なバンドである。しかし、マイナーな曲ってのは全然知られていなかったりする。私の知っているサザンは常に冷静である。熱い感情を染み出させ、魂の平静を維持する。これってばかなり難しい事!なのである。自分という自分を魂がコントロールする。この考えに賛同してくれる人はごく少数でしかない。ましてや実行できる人などは皆無と言っていいほど。なんでだろ??この考えさえ持っていれば「何でもできる」のに...と、思う時がある。そんな話のついでに、今日はちょっと私の頭の中を探ってみようと思う。つまらないし興味がない人は「戻って」くださいね(笑)

家に帰るとテレビがなくては生きていけません
嘘でもいいから刺激がなくては死んでしまいます
こんな時代に手紙を書くのが好きになりました
他人に己をさらけ出すのが恐くてなりません
戦うことや傷つくことは拒むけど
野暮な慰めにゃホロホロリ

胸いっぱい時代の風を吸い込む頃がある
こんなに汚れた都会の空気を有り難がっていた
いくつになっても未熟な自分を愛しく思ってる
そんな大人が幼い我が子に道を説いている
誰かにもらった自由を疑う事はなく
知らず知らずうちホロホロリ

可愛い女にゃ優しく振る舞う自分に気ずいてる
気前の良さと気さくなジョークでその場を和ませる
今夜ベッドに連れ込む相手に狙いを定めても
下心を悟られないかと気にして飲んでいる
奇麗な女、愉快な男、人は皆
春と裏腹にホロホロリ

人間同士も深入りするとロクなことはない
下手に誤解や裏切りなんぞを破る筋はない
人の絆は付かず離れず希薄な方がいい
その他大勢の群れに紛れて幸福掴みたい
歩みの遅い者を尻目に駆け抜けりゃ
友は泣き笑いホロホロリ

浮気をするならバレなきゃいいわと笑って妻は言う
この頃帰りが遅くなったと気遣う振りをする
満員電車のびしょ濡れ窓から我が家の屋根を見て
今夜の為に昨夜と違った言い訳さがしてる
誰も知らない居場所が欲しいそれなのに
愛をブラ下げてホロホロリ

情に流せば弱気な態度と傍からなじられて
腹から怒鳴ると変わり者だと嗚呼避けられる
頭を下げればその場はなんとか凌げるが
見て見ぬ振りすりゃ自分が何だか惨めになってくる
他人の視線と自分の評価にうろたえりゃ
春は柳さえホロホロリ

母さんあなたが歌ってくれた小唄が懐かしい
この世に生まれこの世で見たのは時代の流れだけ
未来世紀も人間の心はうつろい易いだろう
こんなアジアの片隅なんかにしがみつきながら
もう背伸びをしようなんて言わないが
せめて泣かせてよホロホロリ
夢を捨てられずホロホロリ

はい、これはサザンの新曲「LOVE AFFAIR」のC/Wである「私の世紀末カルテ」という歌の歌詞です。この歌から自分の位置をもう一度再確認したりします。「自分ははたしてどのような状態か」を。多かれすくなかれ当てはまるものがあるので、確認の為にはすごく参考になります。「本当にそのとおり!」と言いたくなる事もしばしば。現状を照れ隠しなく世にさらけ出すというのは大変困難な事だと思います。自分は他人にどう写るか?皆が考えている事ですが、逆に他人が自分にどう写っているか?までは考えないですね。そう、他人も自分を同じように思っているのです。それが本当にわかった後に、さらにその次の悟りがでてくるのです。と、そんな事を考えています。

1998/02/26のひとりごと

最近、つくずく思うのは「ワイキキって違う国だ」ということ。特にハワイカイなんぞに住んでいる自分にとっては「車で20分の他国」みたいな所である。大勢の人達がおりなすステージに大勢のお客さんが「楽しい!」というオーラを発して歩いているワイキキは、私が行っても「かなりウキウキ」するところでもある。「やっぱり、皆が楽しいと思っている時は自分もそれに感化されて楽しくなるんだなあ...それがいわゆる「盛り上がり」ってヤツなんだ。」と、同時にハワイに住んでいる人って、観光で来た人よりハワイを知らなかったりする。私だけかもしれないが「こんなとこでしょ」ぐらいの知識で止まっているもんだから発展しないし、追求しない。新しい店や行事は毎日のごとく流れていっているのに、ついていけない。ハワイは地元に目を向けてないってのが本当の所らしい。(先入観込み)観光客用のパンフレットなんかみると、とても楽しいし、為になる。つねに最新のハワイが、それには載っている。「こんな無料の情報誌でも、結構情報が多いなあ」と関心させられるものである。いっその事、これを毎週ワイキキで集めて日本に向けて郵送すれば、結構喜ばれるかな?とも思ってしまう。ビジネスとしては難しいかもしれないけど、そういったのって最新情報を送信するには手っ取り早いもんだよねえ...。でも、誰も欲しくなかったりして(笑)

1998/01/04のひとりごと

だれもこの独り言は聞いてないだろうなあ..と思いつつ書いている。前回の更新から1ヶ月近くもサボっていたら、なんだかわからなくなってしまった。やっぱり年末は忙しい。新年はそれほどでもないのだが年末は日本から色々な方々がやってくるので、どうしても付き合い等で睡眠時間が減ってしまう。ただでさえキツイ更新作業も「何を書くかなあ」と考えているだけで終わってしまうのである。今のところメールの返事は毎日できるようにしてはいるが、どうしても2〜3日の遅れがでてしまう日もある。うちのチーフがコンピューターを買ったので、それのセットアップなどもやっていたからなあ...と、フト思ってみる。なにしろうちの女房が帰ってくるまでにやらなきゃいけない事が盛りだくさんあるのだ。今度は2人目の子供ができるので今の家ではなく、もっと使いやすいところに引越ししなくちゃ行けないし。とにかく今は息子に会えないのが寂しいね。

1997/12/19のひとりごと

ホノルルマラソンも無事に終わり、筋肉痛で動けない日々が続いた。しかし、結果はどうであれ「得る物」は大きかった。マラソンなんてした事もない私が辛い思いまでして得た物。言葉にしては上手く表現できないものだが、今後の私の成長と変化には大きく影響するものとなるであろう。

「厳しい」のと「愛情の無さ」というものは紙一重である。しかし、内容は大きく違うものである。言い換えれば「忍耐力の教育」と「無責任」と言える。人は一人では強くなれない。孤独における精神力の強さより、団体においての精神力の強さの方が後に応用がきくというわけである。

1997/12/12のひとりごと

ホノルルマラソンまであと3日となった。火曜日から短期集中で練習してきたが、本番ではどれほど通用するのだろう。予定完走時間は、今のところ8時間としているが、8時間という長い道のりの中、何を考えて進んでいるんだろう。そもそもマラソンに出場する事の目的はなんだっけ?普通の考えならば出場はおろか、観戦だってしなかったかもしれないが、そこは私の性格。目立ちたがりやな性格がグイグイと私を駆り立てたから...なのだな。ゴールの向こうに何が見えるか?それは完走した後じゃなきゃわからない物なんだろう。

ワイキキの売春婦は一つの組織になってるらしい。そりゃそうだ。日本でもそうだが、そんなに儲かる話をヤクザ(マフィア)が黙って見ている筈はない。先日、売春婦を取り仕切っている黒人をみたが、金色のオープンのベンツを乗り回していた。それだけ儲かる商売なんだなあと、妙に関心してしまったりする。聞いた話によると、最初は100ドルで!なんて言ってても途中で「この先は200ドル追加ね」とか平気で言ってくるらしい。ワイキキを走っていると毎晩それに騙されてついていく人達が見れる。それっぽい格好の女性と、その後を歩く中年の男性。見てすぐわかるシチュエーションである。特に日本人はスケベらしいので、この商売も干上がる事はないのだろうなあ。

ハワイの酒の法律は厳しい。それに、若い子達はおとなしくしたがっているんだろうか。夜中に営業している所はすくないし、2時以降に酒を販売するには、また別のライセンスが必要になってくる。夜中に溜まる事ができなくなっているのがハワイである。ゲ−ムセンタ−や24時間営業のレストランに行っても、若い子たちはそれほど溜まっているワケではないし、聞いてみると友達の家などで溜まる事の方が多いという。その方が酒も飲めるしタバコも吸える、安心して遊べるというワケだ。「観光地ハワイ」のイメージを守る為に、地元民の不良化まで防いでしまおうと言う事だろうが、ワイキキから離れれば、それなりにワルはいるらしい。それほど大きくは取り上げられていないが、殺人事件だって、結構あるのである。ただ、見ていると、その日の地元新聞には載っているが、それ以後は全く問題視すらされていないんじゃないか?というのが現状である。たとえば、2年前にあったストリップショーの殺人事件や、ドラッグがからんだ日本人親子の殺害事件、ハワイカイであったホモ売春の殺人...全ては最小限の公開にとどめ、観光に影響しないように、裏で処理がおこなわれているのである。

 

 


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